英語に対するアプローチ(代表の場合)

英語の学習をスタートしたのは中学生になってからです。成績はというと、中学で中の上、高校では上位の方でしたが、特別好きだったわけではありません。ただただ、受験のため根性でやっていました。

大学、大学院では特別勉強したわけでもなく、どちらかというと苦手意識もあったため、修士論文の概要を英語で提出する際は、後輩を食事でつり、手伝ってもらってました。

英語についての意識が変わったのは社会人になってからです。 配属先が決まり、初めて参画するプロジェクトは米国の会社と共同でシステム開発をする、というものでした。当然英語は必要です。 TOEICも生まれて初めて受けましたが、それはもう悲惨な成績でした。一念発起したのはそれからです。 新人だったこともあり大した実力もなく、まわりからは”お前は英語すらできないのか”という言われ方をされました(ちなみに、そのまわりの人たちも大して英語ができなかったのですが。。。)。

ここにいるには、もう英語しかない、と思いそれはもう必死で勉強しました。 ただ、学習のコツがつかめていなかったので、なかなか成績がのびませんでした。 3年ぐらいかかって、ようやく700点台でした。 それでも、この頃は少しは自信がついてきたため、さらに飛躍したいと思い、よせばいいのに外資系企業に転職してしまいました。 自分の力に勘違いしていたこともあり、仕事は当然空回り、会社全体の業績も途中から悪くなったことからリストラにあい、職場を去ることとなりました。

再び自信を失いました。起死回生を狙うには、まずは英語を一から徹底的に鍛えるしかないと思い、カナダに語学留学しました。 向こうでの生活はそれはもう楽しかったです。人生で一番ではないかと思うぐらいでした。

同じ学校に通う海外の人たちとも仲良くなりました。 メキシコやサルバドル、チリ、ベネズエラ等ラテン系の国出身者が多かったですが、習慣や考え方の違いが原因なのか、最初はぎこちなかったです。 それが慣れてみるとお互い打ち解けあい、当時モントリオール市内で一番流行ったラテン系のディスコに何度も連れてってもらいました。ダンスも教えてもらいました。 仲良くやっていくのって、こんなにも簡単なことだったんですね。
※写真は当時のラテンディスコ MOMENTOS

気づいてみると英語に対する抵抗はほとんどなく、結構楽しいものに感じられていました。 コミュニケーションをとる手段が英語しかなかったため、英語を使うしかなかったのですが、生活が楽しくなるにつれて、その楽しさに直結するツールになっていたからだと思います (ちなみに、モントリオール市はフランス語が唯一の公用語ですが、ビジネスや外国人どうしのやり取りは英語がメインです)。
※写真はモントリオール市中心部全景

そんな生活も終わり帰国したのですが、ほとんど準備もせずに受けたTOEICは節目に思っていた800点に達するようになっていました。 それからもネイティブ相手のプライベートレッスンを受けたり、FOX NEWSや海外ドラマを極力視聴するようにしてブラッシュアップしたこともあって、さらに50点上積みできました(900点には届きませんでしたが)。
※写真は米国東部にある名門、イェール大学

最後にターニングポイントについて触れますが、それはやはりカナダへの語学留学だったと思います。 留学経験のある方なら、大抵同じ思いをするはずですが、日本人は文法は強いけど、コミュニケーションは苦手、というのがあります。

ディベートをやると一目瞭然で、中東、南米、東欧など海外出身者は、とにかく機関銃のごとく次から次へとしゃべります、文法がブロークンぎみでも一切気にせずです。 一方、日本人はほとんどだんまりで、完璧を求め、とかく文法を意識してしまう傾向があります。
※写真は当時の学校の様子、癖のある”強者”ばかりです

その差は半年ぐらいもすればはっきり出てくるもので、その上達ぶりはまるで違い、ブロークンぎみだった海外出身者の文法もそれなりに改善されています。 つまり、恥ずかしがらずに、どんどんしゃべった者勝ちだということを学びました。 英語学習の肝はまさにここだというのを身をもって感じたのがこの頃だったのです。 この経験を、特に英語を苦手に感じる子供たちに少しでも生かすことができたらと思う今日この頃です。

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